横綱とはどういった存在なのか

相撲を見る男性

日下開山。耳慣れない言葉かもしれませんが、これは大相撲の横綱の称号の一つです。仏教の用語にも関わりがあるのと同時に、確かに相撲は神事の要素も含む、日本の伝統行事を代表する一つです。その最高位である大関の中から、人格・技量抜群の者に対してだけ横綱を着けることが許されたことをどれだけの人が知っているでしょうか。そう、それだけに横綱に対する期待は大きいと言えるのです。

ですが、その道に精進潔斎するに値する力士が果たしてどれだけいるのでしょうか。残念ながら彼らの頭にあるのは生活の糧を得る手段として、この道を選んだに過ぎないとしか思えないことが多過ぎます。もちろんプロスポーツの要素もふんだんにあるので何よりも才能が物を言う世界なのですが、人気の裏には人々の期待が込められているのを果たしてどれだけ自覚しているのか。ある部門にだけ特化した人間は確かに素晴らしいのですが、いざそれが通用しない立場となるとその多くがたちまち路頭に迷うということになりかねないのに、自分の置かれている立場に敢えて甘んじている力士が目立って仕方がないとしか思えません。

マスコミの過熱した報道の裏にも厳しいお家の事情があるのですが、敢えて角界の常識は世間の非常識、と声を上げたい気分になりました。暴力だけを看板に掲げるとこの世界は成り立たないので、歴史と伝統、礼儀、風格といった体面を整える美辞麗句が横行していた影響もあるでしょう。ですが中学を出たばかりの少年が世間の常識を十分に教えられずに、いきなり厳しいこの世界に飛び込んだという単純過ぎる構造が引き起こした結果だと思えてなりません。勝ちさえすればいいんだ、という風潮がまかり通れば大相撲の人気は衰退する一方でしょう。もっと自覚して欲しいということですよね。

そして多くの力士が土俵をいざ去る段になって、厳しい現実に直面することになるのです。相撲だけに専念していれば済む、という甘さは世間には当然ありませんから。辛いこの世の憂さを一時でも忘れさせてくれる、というのが本来のプロスポーツであるはずなのです。その期待の象徴が横綱であると言っても過言ではないでしょう。問題を起こした力士にも言い分がある。そんな体制で事態の幕引きを協会の幹部達は図ったと私は思いますが、そんなやり方は古過ぎると思います。

重なる不祥事によって大相撲は大きな痛手を打て、重過ぎた腰を動かしつつあるようにも見えますが、日本の社会構造の縮図である角界がどれだけの自浄作用を持つことが出来るか。当分は静かに見守るしかないでしょうが、善い方向性に代わってくれれば、と思います。やはり私も日本人の一人ですから。

最後になりますが、マスコミの報道の在り方も問題が多過ぎますよね。偏った上に同じ問題の報道の繰り返しにはもううんざりです。報道機関の既得権のために視聴者は居るのではありませんから。この点は反省して貰いたいですね。